秋のお彼岸というとおはぎを食べる時期になりますが、このおはぎにはどのような歴史が有るのでしょうか?

今回は、おはぎの歴史について知りたいあなたのため、おはぎに関する歴史と実は4つも有ったおはぎの呼び名の歴史を紹介します。

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お彼岸のおはぎの歴史とは?

平安時代と言う時代はは験担ぎや占いをとても重んじる時代だったのですが、当時は「小豆の赤い色で災難に降りかからないように出来る」と信じられており、小豆を食べる事は邪気払い、穢れ払い、祟り払いの効果が有るとされていました。

この当時、砂糖は日本に入ってきてはいた物の、食用ではなく薬として見なされていたため、平安時代のおはぎは塩餡で作られており、これは江戸時代の初期になるまで続きました。

その後おはぎは江戸時代の中期から後半になって九州と沖縄を中心に自国生産が始まるのをきっかけにどんどん大衆的なお菓子になっていくのですが、それまでは日本では砂糖が大変貴重な調味料だったため、砂糖を入れて作るおはぎと言うのは大変な贅沢品だったのです。

ちなみに、どれだけ貴重だったか?と言うのは当時の貿易品目で読み取る事が出来るのですが、当時は生糸、絹織物、錦織と砂糖が同等の価値とされていたようです。

なので、当時貴重だった砂糖を使ったおはぎと言うのは大変な贅沢で、それをお彼岸のお供え物にすると言う事は、現代で言うと最高級松坂牛のステーキをお供え物にしちゃうと言う勢いだったのです。

戦時中は配給制度の影響で砂糖が貴重となったため、おはぎは再び貴重品となりましたが、現在では皆様ご存知の通りすっかり大衆的なお菓子としての位置を回復しております。

実は呼び方が違っていた?四季ごとに有ったおはぎの言い方

ところで、おはぎには実は季節ごとに違う呼び方が有ったという事をご存知でしょうか?

え?「ぼたもちの事だろ?」ですって?

ええ、それもそうなんですが時代と共に廃れてしまったおはぎの別名は2つ有るので、ここで可能な限り由来などについて紹介します。

まず春は「ぼたもち」ですが、これはこの頃咲く花で有る牡丹の花に例えられた。と言う説が最も有力とされています。

実際、ぼたもちはおはぎと比較すると丸く、全体的に大きめに作られるのが特徴とされています。

夏は「夜船」と言いますが、この言い方の語源は餅つきをせずに作るおはぎの作り方から由来しているのですが、昔は餅つきをせずに作るため「つき知らず」と言われていました。

それがいつしか「着き知らず」と変化し、夜港に来た船は到着しても分からない。と言う点が、このおはぎの「着き知らず」と同じという事になり、「夜船」と言われるようになったのです。

そう、明らかに謎かけみたいな発想なのですが、平和だった当時はこう言う謎かけやだじゃれがとても流行したのです。

秋と言えばおはぎですが、このおはぎの語源に関してはかなり有名ですね。

こちらのおはぎも、季節の花で有る萩の花に例えて「おはぎ」と呼ばれています。

そして、冬ですが、こちらは「北窓」と呼ばれていました。

なぜ北窓か?

さあ、実はこれも夜船と同じで謎かけ的発想となりますので、ちょっと謎かけ的に行きましょうか?
 

夏のおはぎとかけて月が見えない北の窓とときます、その心は?  
 

はい、どちらも「月知らず(着き知らず)」  
 

そう言う訳で、冬のおはぎは「北窓」と言われるようになったのですが、気がつけばこの「夜船」と「北窓」はすっかり廃れてしまい、ぼたもちとおはぎの名前だけが今に残っていると言う訳なのです。

そのぼたもちも、なんとなーくおはぎと言う名前に押されつつ感が有るので、もしかしたら100年後にはおはぎだけしか残っていないかも知れません。

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まとめ

おはぎの歴史についてまとめるとこのようになります。

  1. おはぎは平安時代の頃から有ったが、当時は塩餡を使っていた。
  2. おはぎに砂糖が入るようになったのは江戸時代になってから、それまで砂糖は生糸と同じ価値の有る高級品だった。
  3. 昔は「ぼたもち」「夜船」「おはぎ」「北窓」と季節ごとに4種類の言い方が有った。

おはぎの歴史について紹介させていただきましたが、いかがだったでしょうか?

おはぎの歴史は日本における砂糖の歴史とも言えますが、お菓子類が食べれると言う事は平和の象徴でも有るので、これがずっと続くといいですね。

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